代表挨拶
「三縁の会」の誕生
2010(平成22)年4月8日(木)、熱き志を持った16人が京都で集まりました。
「三縁の会」(第1回・発会式)がこの日にスタートしたのです。
この深い感動は今もなお、鮮明な光景となって私たちの心に焼きついています。
『啓発録』(けいはつろく)<橋本左内先生(1834-1859)幕末の志士・福井藩の思想家が15歳のときに自らの志を記したもの>この著の中に「振氣」という言葉があります。
私は1950(昭和25)年生れ(寅・十二支)ですから、ちょうど60歳の還暦を迎えた年でありました。
まさしく老生馬齢の身ではありますが、今こそ氣を振って「世の為、人の為」にとご奉仕させていただきたいという思いが充満していました。
次代を担う若い起業家・経営者の皆さんとご一緒に学び、歩もうと決意を固めていたその時、盟友・同志である藤井哲也(幹事長)さん、そして皆さんのご賛同とご尽力をいただき、「三縁の会」が誕生したのです。
三つの縁(えん・えにし)
会員の皆さんは、若くとも誰にも負けない「熱い志」を抱き、夢の実現に邁進しようとする強い思いがあります。
年齢を問わない「忘年の交わり」の如く、お互いに「尊敬の念」を有し、「自己修練・自己研鑽の場」として、ささやかな「ホット・コミュニティの場」を形成しました。
志縁・尊縁を以って、あったかい「心の絆を結ぶ」すなわち、ヒューマン・ネットワークの拡大を願っています。
そして、一人ひとりが小さくとも「キラリと輝く一灯」「先見の明(あかり)」を掲げ、力強く繋いでいきましょう。
日本を元気に!ここに志縁・尊縁・結縁の三つの縁の「三縁の会」の存在理由<レゾン・デートル>があるのです。
ホンネで語り、ホンモノを探求
会員の一人ひとりが輪番で講師を引き受けて、赤裸々な体験や熱い思いを本音で語ります。
そして互いに意見(質問・見解)を述べるという、「問答」・「ソクラテスメソッド」のスタイルで議論することを大切にしているのです。
■真贋(しんがん)を問い質す
すなわち心眼(しんがん)と真眼(しんがん)をもって、何がホンモノであるか<本物の生き方>を探求しようと心掛けています。
・なぜに苦難を承知で起業し「イバラの道」を歩もうとしたのか。
・国内外の潮流を読み取り、いかにしてビジネスチャンスを掴み、経営に生かすのか。
・先人の仕事(志事)にかける、勇気と決断・実行に学ぶ。
地縁・血縁・社縁が崩壊の一途をたどる「無縁社会」にストップをかけ、あったかい心の絆の
「有縁社会」を取り戻すことに汗を流したいものです。
「三縁の会」誕生 もう一つの理由(わけ)
■考えられないことを考え抜く、勇気と実行
■我が人生、いかに生くべきか
<国際政治学者・教育者 若泉 敬(わかいずみ・けい)先生の訓導(ことづて)>
「世界の中の日本」の在り方を提唱し、沖縄の祖国復帰に尽力された若泉 敬先生(1930-1996・京都産業大学教授)は熱情をもって若い方々に問いかけられました。
「何が本質なのか」「現状のまま、これでいいのか」…と。
「考えられないことを考え抜く、勇気と実行」そして苦難を恐れず半歩でも前進し、たった一度しかない人生に「我が人生、いかに生くべきか」を真摯に自問しましょう…と。
この言を素心として、私は「報恩感謝」の日々(余命)を送りたいものと希っています。
「若泉 敬先生と私」
出会いと鴻恩を偲ぶ
若泉 敬先生に初めてお会いしたのは、私(昭和25年9月7日生れ)が福井県立若狭高等学校3年生で、大学受験期の1969(昭和44)年1月でした。
場所は、ひなを奥様のご実家(福井県武生市)です。
先生からは「京都産業大学は新しい大学です。ともに学びフロンティア精神で立派な大学にしましょう」とのお誘いをいただきました。その時の「仁なる眼差し」は深い感激となって、生涯忘れることができません。
同年、京都産業大学法学部に入学。学生寮・自治会活動を通じて大所高所のご助言ご指導をいただき、卒業と同時に母校に事務職員として奉職。爾来「知の奔流・教育の道場」を纜(ともづな)に「運命共同体」として学生、教職員と共に大学の進運に夢を抱き汗を流しました。
先生は「世界の中の日本、自国の安全保障」のありかたについて研究、実践に邁進され公論をリードし、一命をかけて「沖縄の祖国復帰」という回天の大業を成し遂げられたのです。
先生は国際政治学者、教育者、真摯謹厳で文武両道の練達の士、慈父として、私と家族を終生愛して下さいました。私にとっては「人生の師表」として、永年にわたり汲めども尽きぬ泉のご鴻恩をいただき、心の奥底から景仰でき得る喜びと、深い縁を大事にしたいものと念じています。
若泉 敬先生の御魂は「北斗の星」「愛国の道標」となり、日本の次代を担う青年には、毅然とした自主独立の精神を以って「我が人生、いかに生くべきか」を問い続けて欲しいと、今もなお語りかけているのです。
「日本の元気!東北復興、国際貢献」で世界に発信
「東京五輪2020 招致の成功=戦略的企業経営」
*パラリンピアン 佐藤真海さんのパッション・熱情あふれるプレゼンは、IOC委員やわたしたちに
も感動を与えました。
・オールジャパンで招致にたずさわった多くに日本人の「熱きおもい」と「ロビー活動の積み重ね」の
総集編が最終プレゼンでした。
*戦略的には、過去の招致活動の問題点を捉え直す〈リフレーミング〉(reframing)が
大きな勝因になったといえましょう。
■企業経営者はリフレーミング・パワーを発揮することで、持続可能な「事業・企業組織」を
構築することが肝要です。
*企業が生き残るには、勇を鼓して事業をたえず見直すことが、リーダーとしての責務であり、
社内・社外への強力なメッセージが必須なのです。
「挑戦と応戦そして調和力」
人は異文明、異民族、他国家、自然災害などに挑戦を受け、それに応戦してきた長い歴史があります。
20世紀の「知の巨人」歴史学者、思想家であり『歴史の研究』(全25巻)を著した、
アーノルド・J・トインビー博士(英国1889~1975)は「歴史は挑戦と応戦である」と論じました。
<トインビー博士と若泉 敬 京都産業大学教授の共著『トインビーとの対話 未来を生きる』
(毎日新聞社・講談社) 参考>
われわれ日本人の背骨(DNA)には、挑戦と応戦のバランスを取る「和の精神」ともいえる
「調和力」があります。
それは我が国の「悠久の歴史」の中で、先人とわたしたちが感得する矜持といえます。
今時の厳しい国際情勢にあって、日本はアジアそして世界の中で、真のリーダーシップを
発揮する事ができる潜在力があるのです。
2020年の東京五輪・パラリンピックはまさに日本人の「心魂」ともいえる「人間力」と「底力」を
世界に発信する好機ととらえ、新たな「国家ビジョン」を掲げる秋(とき)といえましょう。
「TOKYO 決定に歓喜」 2013(平成25)年9月8日(日) 〈早朝〉
「1964年 東京オリンピックの追想・感動」
昭和39年10月10日の開会式。
NHKのTV実況で、北出清五郎アナウンサーはこう伝えました。
「世界中の青空を、全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい、秋日和でございます」…と。
後世に残る、素晴らしい「感動表現」ではありませんか。
私(当時中学2年生)のふる里、錦秋の若狭路を聖火ランナーたちが駆け抜けた光景が
フラッシュバックします。
実に、10万713人の「心と心」を繋いだ、日本列島を縦断する「大聖火リレー」であったのです。
東京オリンピックは、50年の歳月を経てもなお、多くの人々が語り続ける「それぞれの感動」なのです。